犯罪被害の苦しみ共有 那覇 支援考える円卓会議 遺族や専門家ら 制度つなぐ啓発重要■市町村取り組み進まず

 犯罪被害者の境遇を見つめ、当事者や被害者家族らへの支援の在り方を考える地域円卓会議がこのほど、那覇市の県総合福祉センターであった。事件事故の遺族や支援者、専門家らが思いを語り、支援が行き届かず孤立しがちな犯罪被害者らの実情を共有。癒えない悲しみや苦しみを抱える被害者や遺族らの思いを自分事と捉えて支える社会の実現へ理解を求め、自治体や関係機関などに求められる支援について意見を交わした。(社会部・新垣玲央)

 「あの事故で、私の人生は全て奪われた」。2019年4月、東京池袋の乗用車暴走事故で娘と孫を亡くした上原義教さんは言葉を詰まらせた。当時は、突然の連絡を信じることができないまま東京へ向かった。「何かの間違いであってほしい」。そう言い聞かせながらたどり着いた娘の自宅前には、多くのマスコミや警察官ら。気が動転し現実を受け入れられないまま、変わり果てた2人と対面した。

 眠れない日々が続き、職場も行けなくなった。部署を変えるなど会社は助けてくれたが、仕事が手につかず退職。裁判の関係などで何度も東京へ足を運び、住宅ローンも残る中で経済的にも苦しく、マンションを手放した。将来、娘家族と一緒に住もうと話していた家だった。

 「時間が解決してくれる」などと励ましの言葉も受けたが、「忘れることなんてできない」。沖縄に来ることを楽しみにしていた娘や孫を思い「何もしてあげられなかった」と声を落とした。

 「犯罪被害者支援ひだまりの会okinawa」の河井由美代表は05年2月、自衛官による強盗殺人事件で夫を奪われた。0歳と3歳の子を抱えながら会社を継ぎ、生活は激変。眠れない、食べられない、仕事に行かないといけない-。県内に頼れる支援団体はなく、県外の自助グループを知って救われた。「沖縄にも自助グループが必要だ」と自ら立ち上げた。

 犯罪被害当事者や遺族らの中には数十年たっても語れない人もおり、「支援が行き届いたかどうかで回復の過程は変わってくる」と河井代表。

 昨年7月に施行された県犯罪被害者等支援条例に基づき、県が見舞金制度や休業支援など支援計画の策定を進めていることも説明。自身も審議会委員として関わっており「県民への啓発活動も積極的にやるべきだ」と述べた。

 福岡市の高木久志さんは18年に交通事故で息子を亡くした。喪失感や怒り、悔しさを抱えながら「避難場所」を自力で探し、ひだまりの会に出合った。当時、警察や自治体から被害者支援について説明はなく「積極的に放置された」。被害直後から、当事者や遺族らを支える取り組みも重要だと訴えた。

 審議会委員で、県犯罪被害者等支援アドバイザーで沖縄被害者支援ゆいセンター前事務局長の池原泰子さんは、全国的な支援ネットワークや制度も生かせるとし、支援につなぐ広報啓発の重要性を指摘した。

 会議は那覇市議会無所属の会などが主催し、精神科医の佐村瑞恵医師らも参加。「市町村での取り組みが進んでいない」と指摘した前泊美紀市議は各自治体が条例を制定し、理解を広げる必要性を語った。

(写図説明)当事者や支援者らを交え犯罪被害者の境遇を考え、支援の在り方について考える犯罪被害者支援地域円卓会議=3月18日、那覇市・県総合福祉センター

(出典:沖縄タイムス2023年4月6日 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/gallery/1131223

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